Original > 紡唄[Text]
真金の鬼
「傀奇様っ! いらしていたんですね!」
 傀奇の姿を見留めるなり、その少年は箒を手に嬉しそうに駆け寄ってきた。
「本日も神事の手伝いに来てくださったのですか? 人手もなかなか回らないので、いつもとても助かって――」
「毎度毎度、そういうのはいいから」
 うやうやしく頭を下げる少年に、傀奇は小さく溜息を吐く。
 白衣に緋色の袴という出で立ちの少年は、ここ『真金神社』の巫子だ。いわゆる女装巫子というやつである。
 なぜ彼が女装しているのかと言うと、それはこの神社の伝統のようなものなのだが、どのような経緯でそんな伝統ができたのかは誰も知らないし、資料にも残されていない。
 そんなよく分からない伝統を律儀に守るくらいなのだから、彼もとても真面目なのだ。
「ふふっ、粽ちゃんは相変わらず真面目よね〜」
「あっ、苺瑰様」
 背後からやってきた苺瑰の姿を見留めた粽は、慌てて再び頭を下げ、苺瑰は楽しそうに手を振ってそれに答える。その態度は礼儀正しさは変わらぬものの、傀奇に対するものよりも幾分か軽いものだ。
「苺ったら、こんなところにいたのね!」
 ぱたぱたと足音を響かせ、本殿の方から鮮やかな着物を纏った少女が駆けてくる。少女は苺瑰に抱きつくと、少しむくれながら彼を見上げた。
「みんな神事の準備で暇なのよ。遊びましょ!」
「あらあら、分かったわ」
 苺瑰は傀奇と粽に軽く目配せをすると、山茶を連れて本殿の方へと歩いていった。残された傀奇と粽はちらりとお互いを見遣る。
「ねえ、粽」
「は、はいっ! 何でしょう?」
「……僕は準備の方を手伝ってくるけど、君も早く掃除を終わらせた方が良いんじゃない?」
「あっ……そ、そうですよね。では、失礼しますっ!」
 粽は慌てて頭を下げ、急いで駆けていく。そんな彼の後姿を見送りながら、傀奇は再び溜息を吐いた。
「全く、現当主だってあそこまでじゃないのに。やりにくいなぁ」
 粽が傀奇にうやうやしい態度を取るのは今に始まったことではない。現当主――彼の父も傀奇に対して多少畏まったところはあるのだが、粽ほどではなく、傀奇としてはせめてもう少し……彼の父くらいの態度になればと思っていた。
 何度か直接言ってもみたが、真面目な粽は「そんなことはできない」の一点張りだった。
「僕がこうしてここに手伝いにくるのも、単なる自己満足なのにね」
 そう小さく呟くと、傀奇も本殿の方へ向かった。

 ◇

「ひゃあっ!?」
 倉庫から叫び声と共に大きな音がし、苺瑰と山茶は顔を見合わせた。
「粽ちゃん? 大きな音がしたけれど、大丈夫?」
「粽! 怪我はない!?」
「あ、苺瑰様に山茶ちゃん……ちょっとドジっただけなので大丈夫です」
 粽は様々な物に埋もれながらも怪我はないようで、苺瑰と山茶に困ったような笑みを返す。倉庫の高いところにある物を取ろうとして失敗したというところだろう。
「もう、気をつけないとダメよ?」
 苺瑰は粽を抱え起こすと、床に散らばった物を拾って棚に戻していく。粽にとっては重くて動かすのも一苦労だった物も軽々と持ち上げる苺瑰を、粽は目を輝かせながら見上げていた。
「苺瑰様は大きいし力もあるし、いいなぁ……あ、それに可愛い、ですしね!」
「あら、ワタシは牛鬼で粽ちゃんは人間なのよ。パワーに差があるのは当然じゃない」
 本音の後に慌てて可愛いと付け足す粽の律儀さに、苺瑰はクスクスと笑う。
 粽本人はどうにも自分に自信がないようだが、苺瑰も山茶も、傀奇だって彼の実力は認めている。最も、苺瑰としては彼の謙虚なところも可愛いと思うのだが――というのは黙っておく。
「……あれっ、これって」
「なになに、何を見つけたの?」
 ふと粽が1冊の古ぼけた絵巻物を拾い上げ、少し離れて苺瑰の様子を見守っていた山茶がすかさず粽の手元を覗き込む。苺瑰も興味があるのか作業の手を止め、山茶に続いた。
 それは見た目からしてかなり古いもののようで、少しかすれてはいるものの、文字も絵も読み取ることができた。
「ええと……鬼退治の話、かな?」
 何気なく口にしてしまった単語に、粽はしまったと口を押さえたが、苺瑰は気にする様子もなく絵巻物に視線を落としている。
 鬼退治と言えば、“鬼の山”の鬼退治の話なら粽も何度か聞いたことがあるし、苺瑰や傀奇も退治された鬼たちとは親しい間柄だったらしい。しかし、この巻物はそれよりも古いもののように思われた。
「この神社に祀られているのも鬼だったわよね? それにまつわるお話かしら?」
「そういえばワタシ、ここに祀られてる鬼のこと全然知らないわ」
「そうなんですか? てっきり苺瑰様や山茶ちゃんは知っているものかと」
「そもそもワタシが意志を持った時には既に神社はあったから、起源までは知らないのよ。苺が来たのはずっと後のことだし」
「お話自体は……まあ、割とよくある鬼退治譚といった感じよね」
 絵巻物には苺瑰の予想通り、とある鬼が退治され、ここに祀られるようになるまでの経緯が記されており、傍には猛々しい鬼の絵が添えられていた。一通り読み終えた粽は、苺瑰と山茶の方を見遣る。
「ところで山茶ちゃんは傀奇様とは長い付き合いなんですよね?」
「うん、ワタシが初めて会った時からあんな感じよ。苺が来るまではあんまり話さなかったけれど……昔から物知りだったわ」
 みなまで言わなくとも、互いに互いが絵巻物に描かれた鬼と傀奇を結びつけていることは伝わっていた。しかし、絵巻物の鬼と傀奇がイコールだとすると、疑問も残る。
「でも、この絵巻物の挿絵はどうも傀奇様と結びつかないんですよね」
「そうね。まあ、こういうのって描き手の想像で描かれているだろうし、外見的特徴が一致しないというのはよくあることなのだけど。大将もそうだしね」
「大将……って、鬼の山の大将ですか?」
「粽ちゃんには“酒呑童子”と言う方が伝わりやすいかしら。大将も絵巻物とかだとゴツくて可愛くないけど、現物は小さくて可愛いかったでしょ?」
「う……確かに、すごく、綺麗でした。綺麗で小さいのにすごく、怖くて」
 以前出会った“大将”の姿を思い出し、粽は小さく身震いする。絶世の美人、という言葉が合いそうな彼は、年端もいかない容姿に反して強大なオーラを持っていた。
 最初にその容姿に目を奪われる。そして、その小さな身体から発される圧倒的な圧に畏怖する。
 恐らく、ゴツい姿を描き残した者は畏怖の念からその姿を思い浮かべたのだろう。
「魁斗の話はいいのよ。どちらにせよ、傀奇からはこんなゴツい姿で描かれるようなオーラを感じたことはないわ」
「そうよねぇ。大将も1度退治されて弱体化したとはいえあんな感じだし、傀奇は本当に元々戦闘は苦手そうなのよね」
「そうですよね。やっぱり傀奇様がこの神社の主神本人……ではないのかなぁ」
「僕が何だって?」
 絵巻物を眺めながら首を傾げる3人の背後から突然声が掛けられ、3人は驚いて一斉に振り向く。そこには今まさに議題に挙がっている傀奇本人が立っていた。
「あっ、傀奇様っ……!?」
「粽、頼まれた物は見つかったの?」
「そ、そうだった! 今持って行きます!」
 本来の目的を思い出した粽は、側の小箱を抱えると慌てて倉庫を出て行く。粽の姿が見えなくなると、傀奇は小さく溜息を吐きながら絵巻物を拾い上げた。
「……ああ、これ、こんなところにあったんだ」
 懐かしそうに絵巻物を眺めた後、丁寧に丸め直して棚に置く。その様子を苺瑰と山茶はじっと見ていた。
「………何?」
「いいえ、何だか大切そうに扱うんだなぁと思って」
「ずばり聞くけど、その絵巻物の退治された鬼って傀奇のこと?」
 ど直球の質問に傀奇は少し考えるような素振りを見せ、再び溜息を吐いた。
「ご想像にお任せするよ」
「あら、粽ちゃんはともかく、ワタシたちにも内緒なの?」
「内緒っていうか……別にいいでしょ、昔のことなんて」
 そう言われてしまっては、これ以上の詮索はできない。苺瑰と山茶は顔を見合わせると、さっさと倉庫を出ていってしまった傀奇の後に続いた。

「僕としてはあまり畏まられるのは好きじゃないんだ。仮に僕が神社の鬼神本人だとしても、その弟だとしても、想像の範疇と実際に語られたのとでは違うでしょ」
 本殿へ向かう道すがら、傀奇がぽつりと呟く。
「……確かに、粽ちゃんはちょっと固いわよね。これ以上固くなられても困るわねぇ」
「うん。ワタシも最初は様付けされたけど、嫌だったからしつこく言ってようやくああなったのよ」
「じゃ、ワタシたちもこれ以上の詮索はナシにするわね!」
 何だかかんだと言いつつもそれとなく話してくれた傀奇に、苺瑰と山茶は小さく笑う。
 きっと、彼がここで敬われているのは彼の正体がどうということだけでなく、その人柄もあるのだろう。もしかすると、絵巻物の鬼もそこに描かれていないだけで、彼のように慕われていたのかもしれない。
 そんなことを思いながら、苺瑰と山茶は改めて本殿を見上げた。

// [2017.07.06]