Original > 紡唄[Text]
妖精の住む館
「どうしよう……完全に迷ったわ」
 『妖精の森』と呼ばれる森の中。金色の髪に碧い目の少女――コーデリアは途方に暮れていた。
 この森に来るのは決して初めてではない。幼い頃も母親――育ての親なので血の繋がりはないのだが――に連れられて何度か来たことがある。
 今日も母親に薬草を取ってくるように頼まれ、こうして1人で森にやって来たのだ。
 実際、薬草を手に入れることは何も問題はなかった。問題が起きたのはその後である。
「………っ!」
 近くでがさりと茂みを掻き分けるような音がし、コーデリアは慌てて木の影に身を潜めた。
 息を殺して様子を伺っていると、茂みから小動物が飛び出し、辺りをきょろきょろと見回した後、どこかへ去って行く。他には何もいないことを確認し、ようやく安堵の息を吐く。
「……“妖精の目”か」
 コーデリアが森に入り、薬草を摘んでいた時だった。同じく薬草を取りに来たらしい男たちと出会った。
 しかし、彼らはコーデリアの左目――“妖精の目”に気付くと、急に襲ってきたのだ。彼らのことは何とか蒔いたものの、ご覧の通り、闇雲に逃げているうちに迷ってしまったという訳だ。
(あの人たちが“妖精の目”と呼んだこの目……一体何なのかしら。お母様なら知ってるかな)
 コーデリアの瞳の色は左目の方が緑がかっている。普段は前髪で隠れているため、よく見なければ大抵の人は気が付かないだろう、という程度ではあるが。
 別段特別な力がある訳でもなく、コーデリア自身も「ただ色が違う」くらいの認識だったのだが……。
(でも、まずは森から出なくっちゃね)
 目のことも気になるが、まずは帰り道を探すことが先決だろう。日が落ちてしまえば、森を抜け出すことはより困難になるし、何が潜んでいるかも分からない。
 『妖精の森』と呼ばれるこの森には、異名の通りに妖精が住んでいるという。妖精の中には友好的なものもいれば、悪戯好きなものもいるだろう。
 もし出会ってしまうのならば前者であることを祈りながら、コーデリアは歩を進めることにした。

 ◇

「……これ、出口に近づいているのか、遠ざかっているのかも分からないのだけど」
 そうしてどれくらい歩いただろうか。コーデリアは大きく溜息をつくと、側の岩に腰掛けた。
 辺りの様子は変わっているような気も、変わっていないような気もする。つまり、迷ったままだ。
 こんな時、いつしか読んだ童話のように、通った道に何か道しるべを付ければ良いのだろうか。だが、もしまた彼らに出会ってしまったら――堂々巡りに陥り、頭を抱えていると、近くでがさりと音がした。
(さっきよりも大きな音……小動物じゃ、ない!?)
 今度こそ彼らかもしれない。慌ててどこかに身を隠そうと立ち上がる。
 しかし、コーデリアが動くのよりも速く、大きな影が草場から飛び出してきた。
「………あら?」
 思わず身構えたコーデリアだったが、姿を現したのは人の背丈ほどある鹿だった。
 とにかく、彼らではなかったことに安堵したコーデリアは、へなへなとその場に再び座り込んだ。
 鹿はコーデリアの前を何事もなかったかのように通り過ぎていった――が、しばらく進んだところで立ち止まり、振り返った。
「………?」
 コーデリアが首を傾げる。鹿は再び歩き出したが、やはり数歩行ったところで同じように立ち止まり、振り返る。
「ついて来い、ってことかしら?」
 鹿はコーデリアがついて来たことを確認すると、再び歩き出す。そして、時折コーデリアの様子を確認するかのように振り向く。
 そんなやり取りがしばらく続き、鹿に導かれるままにコーデリアが辿り着いたのは1本の大木の元だった。見上げるとひっくり返ってしまいそうなほど立派な大木は、この森の中でも一際存在感を放っている。
 鹿はもう1度コーデリアの方を見ると、大木の影に姿を消してしまった。大木に見惚れていたコーデリアも慌ててその後を追い、大木の影に回り込もうとしたその時――強烈な光がコーデリアを襲った。

「ここ、は……?」
 次にコーデリアが目を開いた時、目に飛び込んできたのは花々に囲まれた屋敷だった。
(確か、鹿を追って……木の影に回ろうとしていたはず。でもあの木は……?)
 きょろきょろと見回してみても、大木は影も形もなく、屋敷とそれを囲む花々しか見えない。代わりに背後には植物でできたアーチがあるが、もちろんコーデリアはアーチなどくぐった記憶はない。
 首を傾げながら色とりどりの花が咲き乱れる美しい光景を眺めていたコーデリアは、すぐに違和感に気がついた。
 そう――綺麗すぎる。本来ならば花によって開花するタイミングは異なるはずだが、全ての花が咲き誇っているだけではなく、春夏秋冬……あらゆる季節の花々が同時に咲いている。
 それは通常ならば有り得ない、つまり、この場所は普通ではない場所――妖精の住処にでも迷い込んでしまったのだろうか。
(もしかして、さっきの鹿は妖精の眷属だったのかしら)
 そうだとしたら、なぜこの場所に招かれたのだろう。だが、きっとこんなに美しい場所に住んでいるのだから、その妖精は良い妖精に違いない。
 根拠はないが、どちらにせよ、この屋敷の主に会う必要がありそうだ。そう決意し、注意深く辺りを伺いながら屋敷に近づく。
「すみません、誰か居ませんか〜?」
 呼び掛けてみるが返事はない。屋敷に近づくと、咲き乱れる花を含め、きちんと手入れがされていることが分かる。
「それにしても……綺麗な場所。花もきちんと手入れされているし」
「気に入ってもらえたのなら、光栄です」
 何気ない独り言への返答に、コーデリアは勢いよく振り向いた。
(――あっ)
 屋敷の出入り口に少年が立っていた。見た目はコーデリアよりも少し幼いくらいだろうか。
 地につきそうなほど伸びた薄桃色がかった白い髪に碧い目――その目はコーデリアと同じ色をしていた。
 どちらかの、ではない。碧い左目と緑がかった右目。コーデリアと左右は異なるが、両の目が同じ色なのだ。
「……“妖精の目”?」
「ええ……“妖精の目”を持つ人間に会うなんて、幾年ぶりでしょうか」
「貴方は妖精……ではないのですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える。要するに交ざりものなのですよ、私は。半分は人で、もう半分は妖精です」
 少年はふわりとコーデリアに近づくと、まじまじと顔を覗き込んでくる。不可思議な雰囲気の少年に、コーデリアは呆気に取られていた。
「……ああ。すみません。私がよく知る人に似ていたもので。初対面のレディの顔を覗き込むなんて失礼でしたね」
「いえ……その、貴方の知り合いも“妖精の目”を?」
「ええ、丁度貴方と同じでした。……目の色だけじゃない、髪の色も。貴方のような黄金色だった」
「へえ、そんな偶然もあるんですね」
「偶然……いいえ、偶然なんかではありませんよ」
 少年は僅かに目を伏せると、ふわりとコーデリアから離れる。その所作はやはり、妖精のような掴み所のなさを感じさせた。
「貴方は間違いなく彼の人の血筋だ。それは、国を変える者の血筋です」
「国を……? それって、一体……」
 何気ない会話の中で突然出されたスケールの大きい話に、コーデリアは眉をひそめる。少年が冗談で言っている訳ではないことが感じ取れるだけに、余計に上手く飲み込めなかった。
「私は半分は妖精なので、“妖精の目”も父から授かったものであるならば、何も不思議ではありません。しかし、人間がその目を持つということは、生れながらに妖精の加護を受けているということに他ならない」
「先祖の何処かで妖精の血が混じっていて、それが隔世で現れたとか……貴族の中にはそんな伝承を持つ一族も少なくないですよね?」
「いえ、何も“妖精の目”を持つことだけではありません。黄金色の髪に碧い目……これは古の神族と同じもの。貴方は神族の血を引く由緒正しき者なのですね」
「……でも、私はそんな大層な者ではないはず……です。私は下町で暮らす、ごく普通の……普通、の……?」
「貴方はご自分の系譜を知らないのですか?」
 コーデリアの反応に、少年が首を傾げる。この流れからコーデリア自身も、自分が全くの“普通”でないことは感じ取れる。
 少年の話がどこまで当て嵌まっているのかはともかく、コーデリアが“妖精の目”を持つことは確かなのだ。
「そういえば、私には育ての親がいます。でも、本当の親は……どうだったかしら?」
「その育ての親からは何も聞いていない、と?」
「なぜ私がお母様の元で暮らしているか、実の親は誰でどうしているのか……今の生活があまりに当たり前になっていて、疑問にすら思わなくなっていました。いえ、昔それとなく聞いたことがあったのかもしれないけど、はぐらかされたのかも」
「もしかして、その育ての親というのは……なるほど、私が今の今まで貴方に干渉できなかった理由が分かりました」
 少年は1人納得した様子で、くるりと向きを変えると、屋敷の扉を開けて中に入るよう促した。
「せっかくここまで来たのですから、少し話でもしませんか? ここは外界から隔たれた場所なので、時間の心配はいりませんよ」
「えっと……では、少しだけ」
 コーデリアは少年に誘われるように館へと足を踏み入れた。

// [2018.05.15]