Original > 紡唄[Text]
五位の火は未だ消えず
 どたどたと走る足音が廊下に響く。普段ならば廊下を走るなどあり得ない彼の焦りように、屋敷の者たちは声を掛けることすらできずに、ただ道を譲るしかない。
「あずきっ! 千種の様子は!?」
「モコウ様」
 乱暴に戸を開け放ち、叫ぶ吾亦紅に対し、あずきは口元に指を当てて静かにするよう促す。
 吾亦紅も我に返った様子で、少しバツが悪そうに視線を逸らしながら、そっと戸を閉めた。
「……千種様なら眠ってますよ。傷を隠していたという訳ではないようなのですが……」
 あずきの視線を追うように、吾亦紅もそちらを見遣る。部屋の中央に敷かれた布団には一羽の鳥が横たえられており、その様子に吾亦紅は眉をひそめる。
「人の姿を保つ余力もないなんて……本当に怪我はないんだよね?」
「はい。山の治癒が得意な方に見てもらいましたから」
「じゃあ、呪いの類とか?」
「呪印などは見当たりませんでしたが……モコウ様やイズナでも気づかなかったのだとしたら、相当高度なものということになりますね」
「う……そっか。そうだよね。どちらにせよ、千種が何かを隠していたことに気づいていながら、それが何か見抜けなかった僕が未熟だったんだ」
 そっと眠る千種の頬に触れる。そういえば、彼の妖としての本来の姿を見たことはほとんどなかった。
 青鷺火――その輝きが炎に例えられ伝えられた妖だったか。それにしては今の彼が纏う輝きは弱々しく、翼が仄かに光を帯びている程度だった。
 彼曰く「光を抑えていてもちょっと目立ちすぎる」くらいなのだから、やはりこれは弱っている証拠なのだろう。
(元々進んで戦うタイプではなかったけど、最近特に戦闘を避けていたのは、やっぱり何か――)
「……ん」
 不意に千種が身じろぎし、吾亦紅は慌てて手を引っ込める。千種はゆっくりと目を開くと、心配そうに覗き込む吾亦紅とあずきを交互に見た。
「あー……寝てた、か」
「寝てた、じゃない! 千種ってば、急に倒れたんだよ!」
「………」
 今にも掴みかからんとする勢いの吾亦紅に対し、千種はぼんやりと周囲を見回した後、ゆっくりと身を起こす。同時に千種の身体が光に包まれたかと思うと、そこにはいつもの人の姿をした千種があった。
「えっと、モコウが運んでくれたのか?」
「僕は手が離せなかったからあずきに頼んだ。でも、僕がどれだけ驚いて、心配したと思ってるの!?」
「ま、まあまあ、落ち着いて、モコウ様」
 吾亦紅の様子を見かね、あずきが慌てて間に割って入る。むくれる吾亦紅をなだめつつ、あずきは千種に問いかけた。
「千種様、もしかして呪いの類を患っているのではないですか? 千種様のような妖が何もなくここまで弱るとは思えません」
「いや、そんなものはねえよ」
「じゃあ、何だって言うのさ。千種、ずっと何か隠してたよね?」
「別に何も……って訳にはいかねえか」
 吾亦紅とあずきに鋭い視線を向けられ、千種は観念した風に肩をすくめると、真剣な様子で話し始めた。
「俺の種族は知ってるな?」
「“青鷺火”……年月を生きた鷺が化けたもの。青白い光を纏って飛ぶとか、火を吐くとか言われていますよね」
「伝承としてはちょっと地味だよね。化けたものなら他の種族でもできそうだし」
「ま、伝えられてるのはそれくらいだろうな。というか、俺も伝聞でしか聞いたことがない」
「それって、ぶっちゃけ自分でも自分の種族をよく知らないってこと?」
「そうだな。俺以外の同族には会ったことがない。もしかしたら俺以外にはいないのかもしれないし、俺が知らないだけで“別の大陸”にはいるのかもしれない」
「仮にそうだとしても、あちらとこちらでは別の呼び名がつけられているかもしれませんね」
「で、何だか回りくどい言い方をするけど、要するに他にも何かあるってことでしょ?」
 吾亦紅に睨まれ、千種は言い淀んでしまう。普段ならば吾亦紅のどんな言葉も飄々と交わしてしまう千種の珍しい光景に、あずきは微笑ましさを感じたが、今は心の内に秘めておくに留める。
「じゃあ、不死鳥伝説は知ってるか?」
「以前、図書館で調べものをしていた時に目にしたことがあります。寿命を迎えると自らの身体を焼き、灰の中から再生するという異国の鳥ですよね」
「鳥……火……言い伝えられていないだけで、千種の種族も焼死と転生を繰り返すってこと?」
「大体そういうことだ。不死鳥と呼ばれる種はいくつかあるが、一番有名なのはフェニックスだろうな。だが、俺はあいつらのような“完全な転生”はできない」
「完全な……? 転生時に保持できる要素の差、とかですか?」
「俺自身も実際にフェニックスに会ったことがある訳じゃない。もちろん、あいつらの転生する瞬間なんて見ようがない。でも、聞く限りじゃあいつらの転生は“前の自分”の要素をほぼ完全に保持したまま“同じ個体”として転生する」
「……あっ」
 そこで何かに気づいたらしい吾亦紅が小さく声を上げた。千種も吾亦紅が結論に至ったことを察したのか、小さく息を吐き、今度は言葉を切ることなく続ける。
「そう、俺はあいつらみたいに記憶を保ったまま転生できない」
「もし転生しないままでいたらどうなるの?」
「さあな。本当に限界がきた時点で燃えるか、そのまま消滅するか」
「……千種はその転生の時が近い、ってことだよね?」
「蓬の山の俺の目付役みたいな……俺より俺を知るやつが言うには、かなり限界に近いらしい」
「でも、千種は転生したら僕のことも忘れちゃうんだよね?」
 吾亦紅の問いに千種は答えない。それが肯定の意であることは明白だった。
「まー、何というか、さ。モコウにはまだまだ俺が必要だろ? せめてモコウが山の主として一人前になって、心配がなくなるまでは転生してる場合じゃねえなーって」
「千種様……」
 急にいつもの調子に戻った千種だったが、浮かない顔のままな吾亦紅とあずきを見て肩をすくめる。
「……なんて偉そうなこと言っておきながら、俺がモコウの心配の種になってちゃ世話ねえよな。やっぱり、そろそろ限界か……」
「……っ、千種!」
 突然、吾亦紅が声を張り上げ、千種の両腕を掴む。これには千種も面食らった様子で、きょとんとしたまま、真剣な表情の吾亦紅を見つめ返していた。
「僕、早く一人前に……立派な山の主になるから! 早く千種が心配しなくても平気なくらい強くなるからっ……! だから、もうちょっとだけ……待って……」
 始めは強く出たものの、その宣言は徐々に勢いを失い、最後まで紡がれることはなかった。千種はそっと掴まれた腕を払うと、俯いてしまった吾亦紅の頭を撫でる。
「そうだな。モコウにはまだ俺がついてなきゃ駄目だもんな」
「……うん、そうだよ。千種は何だかんだで、いつも僕のことを助けてくれた。まだ千種が側にいてくれなきゃ駄目なんだよ」
「何だ、今日はいやに素直だな。調子狂うなー」
「こんな時にまで冗談言ってる場合じゃないでしょ。あと、言っとくけど無茶は絶対に駄目だからね」
「はいはい。今後は戦線には出ない。それは約束する」
「ふふっ、お2人共、いつもの調子が戻ってきましたね。でも、何だか今日は立場が逆みたい」
 あずきがくすりと笑い、それにつられるように吾亦紅と千種も笑みを浮かべた。
「僕が一人前になったら、千種がちゃんと転生できるように見ててあげるよ。それで、またこの山に迎えてあげる」
「ああ……そりゃ頼もしいや」

 決意を新たにした半人前の天狗は、きっと立派に山を収めるようになるだろう。
 それに、彼は思っていたよりもずっと強い。もうただ守られるだけではないのだと痛感する。
(迎えてあげる、か……その言葉が聞けただけで十分だ。記憶がなくなるのも怖くはない。だが……)
 先程の吾亦紅の宣言が脳裏に響く。あんなことを言われてしまっては、まだ灰になる訳にはいかない。
 改めてそう決意した千種は、あずきと言い合う吾亦紅の姿を見て、小さく笑みを浮かべた。

// [2018.11.30]