Original > 紡唄[Text]
花街の鬼
 『一二三街(ひふみがい)』――通称「花街」や「妖怪街」とも呼ばれるこの一帯は、『緋の都』の中でも少し特殊な場所だ。
 「妖怪街」の異名の通り、化け猫の一族が管理しており、昼は人間が訪れることも多いが、夜はほぼ完全に妖魔のものとなる。
 ここが特殊なのは“公に妖魔が過ごすことが認められている”という点で、退魔師たちも基本的には手を出さないことになっている。
 更に“夜は人間を襲ってもいい”ことになっているため、都の人々の間では「悪さをしたら夜の妖怪街に放り込む」なんて脅し文句にもなっていた。
 また、「花街」とも呼ばれるように、少々怪しい雰囲気を湛えた場所が多く、その手のものを好む人間には人気のスポットらしい。
 そんな所ならば妖魔に関する情報も集まるだろう。そう踏んで花街を訪れた橙花たちだったのだが……。
「……迷ったわ」
「迷いましたわね」
 普段ならば足を踏み入れることなどない場所。あっという間に道に迷ってしまったのだった。
「りんご、アナタ、都のことなら何でも知ってるとか言ってなかったっけ?」
「この辺りは無闇に足を踏み入れないよう菫にきつく言われて……いえ、その、流石にわたくしには少し早いかなと思いまして」
「まあ、そうよね……冷静に考えて、詳しかったらそれはそれで問題な気もするわ。ちなみに、紫はどうなの?」
「俺もここら辺はさっぱり。こういうところで遊ぼうもんなら、師匠にシメられるしな」
「アンタも苦労してるわね……」
 師匠の姿を思い浮かべたのか、苦い顔をする紫に、橙花は少しだけ同情する。しかし、ここでこうしていても仕方がないことは明白だった。
「とりあえず、誰かに話を聞いてみるしかなさそうね。誰か話が通じそうな人は――」
 橙花たちが今後の方針を決めたその時だった。何やら揉めているような喧噪が一行の耳に入る。
「何かしら……?」
「あちらの方のようですわ。何かトラブルでしょうか」
 一行が顔を見合わせていると、角から男たちが飛び出してきた。男たちは慌てた様子で一行には目もくれず、傍を走り抜けていく。
「今の方たち、何だか酷く慌てていたみたいですわね」
「お世辞にも綺麗な身なりとは言えなかったしな。大方、どっかの店で因縁を付けて追い払われたってところだろ」
「あら、自分から因縁付けといて、尻尾を巻いて逃げ出すだなんて臆病者ね」
「……ここら辺は退治屋の目も届かない。下手なことをすりゃ何が出てくるか分かったもんじゃないぜ」
「そう……。彼らはよっぽどよくないものを引き当てたのね。それはご愁傷様だったわ」
「ということは、あの方たちが駆けてきた方には、高名な妖魔さんがいらっしゃるのかしら」
 りんごの発言に橙花と紫は再び顔を見合わせる。“よくないもの”――それが妖であるのなら、何かを知っている可能性は高い。
「私たちは彼らみたいにやましいことをする訳でもないし、とりあえずそこに行ってみましょうか。このままじゃ埒もあかないしね」

 男たちが飛び出してきた角を曲がると、すぐさま立派な門構えの料亭が目に付いた。
 その前ではネコの少女が箒を手に掃除している。エプロンを身に着けていることから察するに、この料亭の従業員なのだろう。
 ネコの少女は橙花たちに気がつくと、にっこりと笑顔を向けてきた。
「んにゃ? お客様ですかにゃ?」
「あっ……ええと。ちょっと聞きたいことがあって」
「おや、迷い人ですかにゃ? ちょっと待ってくださいにゃ。さっき、ちょこっと困ったお客様がいまして……まだ片付いていないのですにゃ」
 どうやら、先ほどの男たちが逃げてきたのはここで間違いないらしい。料亭の中では何事もなかったかのように客たちが談笑しており、この手のトラブルは珍しくないらしいことが窺えた。
「それにしても、この猫娘が彼らを追い払ったのかしら。人畜無害そうに見えて、実は本性は……とか?」
「さあな。それも有り得なくもないだろうが……ん?」
「どうした? さっきの奴らが戻ってきたのか?」
 橙花と紫が小声で話していると、料亭の戸口から少年が顔を出す。その少年の姿に、一行は目を奪われた。
 朱い目に朱みがかった白い髪、整った顔――そして、圧倒的な存在感。妖美、とでも表すのが妥当だろうか。一目で彼が只者ではないことが感じ取れた。
「まあ、綺麗な方ですわ!」
「……こいつは!」
「ええ、何かしら……。妖力があるのかないのかもよく分からない。何というか、ただ、あまりに圧倒的すぎて――」
「気をつけろ。そういう奴は大抵マズい奴だ。高位の妖ほど人間のフリをするのも上手い。いや、彼の場合は――」
「何だ、あいつらが戻ってきた訳じゃないのか? というか、子どもだけでこんなところをふらついているのは関心しねえな。うっかりしてっと悪い大人に取って食われるかもしれねえぞ?」
 少年の頭上に生えた2本の角。一目見た時点でなぜ気付かなかったのか不思議だが、確かに少年の頭上には角が生えていた。
「……人間のフリすらしてないわね」
「……だな。角のある妖は多々いるだろうが、これは間違いなく鬼だ」
「鬼って、何かその辺にわらわら湧いてきて、叩くと断末魔をあげて消えるアレ? こんなに綺麗な鬼もいるのね」
「何だ、嬢ちゃん、ちゃんとした鬼を見るのは初めてか? その辺に湧くのは何となく負の性質が集まって形になったカスみたいなもんだろうが……ま、残念ながら俺はちょっと叩いたくらいじゃ消えねえやつだな!」
「ええ、そうね。貴方がそのカスみたいな奴らとは違うことはよく分かるわ」
 圧倒的なオーラに警戒したものの、鬼の少年は気さくな様子で橙花たちに応じている。話が通じそうだと判断した橙花は、花街へやってきた当初の目的である情報収集を試みることにした。
「それで……さっき向こうに逃げていった奴らを追い払ったのは貴方でいいのかしら?」
「まあ、そうなるな。俺はこの料亭の用心棒ってやつだ」
「用心棒……?」
 意外な言葉に、紫が首を傾げる。鬼の少年は、その反応を最もだと言わんばかりに笑って見せた。
「ここのオーナーとの契約で、報酬に酒が貰えることになってんだよ。正当な労働の対価ってやつだな。奪ってもいいが、こっちの方が角が立たない」
「よく分からないけど、鬼の世界も色々ある……ってことかしら。いえ、彼らのことはどうでもいいのだけれど。私たち、ちょっと聞きたいことがあって」
「んー? それは道案内が欲しいとかか? ……いや、道案内なら俺じゃなくてもいいよな。何ならそこの可愛い看板娘の方が愉快に案内してくれるだろうしな」
「話が早くて助かるわ。……道の方も聞くことになりそうだけどね」

 橙花たちがかつて封じられた九尾狐について尋ねると、鬼の少年は少し悩むような仕草を見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「……『殺生石』って知ってるか?」
「『殺生石』……? 聞いたことないわね。紫はどう?」
「いや、分からないな。その、如何にも物騒な名前の石がどうかしたのか?」
「俺も噂で聞いただけなんだが、何でもその石はむかーし都で悪さをしたお狐様が変じたものだとか何とか……らしいぜ」
「………! ねえ、それって……」
「おっと、俺も詳しいことは知らねえんだ。悪いな、嬢ちゃん」
 思わず身を乗り出した橙花に対し、鬼の少年は肩を竦めて見せる。彼の反応から、これ以上の情報は得られないだろうと判断した一行だったが、ふと紫が呟いた。
「そういや、橙花のいとこっつー稲成大社の半狐の……何か歴史書みたいなものを作ってるとか言ってなかったか?」
「ああ、朱ね。そういえば、そんなことを言っていたような……次はそっちを当たってみましょうか。『殺生石』という言葉をヒントに当たれば、何か見つかるかもしれないわ」
「おっ、話もまとまったみたいだな。それじゃ、ついでに花街の入口まで案内してやるよ。俺は迷った子どもをそのまま路頭に放り出すほど鬼じゃないしな。いや、鬼ではあるんだけどな!」
「あら、鬼さんは怖いものとばかり思っていましたが、親切な方もいらっしゃるのですね!」
「……あまりにフレンドリーすぎて怖いんだけど、私たち取って食われないわよね?」
 鬼の少年にきらきらとした眼差しを向けるりんごに、橙花と紫は少し不安を覚える。しかし、道に迷い困っていたことは事実なため、彼の申し出を無下にするのも憚られた。
 おまけに片付けをしていたはずのネコの少女は、いつの間にか店の中へ戻ったらしく、姿が見えなくなっていた。
「んー、まあ……鬼は横道を嫌うとも言うし、騙し討ちされたりってことはないんじゃないか。気まぐれで助けてくれるだけ、という可能性も捨てきれないのが怖いが……」

 橙花と紫の心配をよそに、鬼の少年は特に怪しい動きを見せることもなく、一行は花街の出入口に辿り着いた。
「この先を真っ直ぐいけば花街から出られるぜ。ってことで、俺の道案内もここまでだ」
「ありがとうございました! そういえば、名前を聞いていませんでしたわね」
「……おい、りんご、あまり深く突っ込まない方が…」
 にこやかに鬼の少年と会話を続けるりんごに、紫がそっと忠告する。
「ん? そういや名乗ってなかったか? 俺は魁斗ってんだ」
「魁斗さんとおっしゃるのですね! 見た目に違わず、お名前も綺麗なのですね!」
「ははっ、嬢ちゃんがお望みなら遊んでやってもいいんだが……俺はどちらかというと、もっとこう、大きい方が好きなんだよな!」
「……りんご、あまり近づかない方がいいわよ。鬼云々の前に、この語り口は女癖が悪い予感がする」
「それは良く言われるな! 俺は本能に従ってるだけなんだがな〜。……ま、アンタらとはどこかでまた会うと思うし、覚えておいて損はないかもしれないぜ」
 一瞬、怒らせるようなことを言ってしまったのではと口元に手を当てた橙花だったが、魁斗は特に気にするそぶりはなく、そう言い残すと来た道を引き返していく。紫は難しい顔でその後ろ姿を見送っていた。
(……また会うかもしれない、か。それにあの反応……間違いなく他にも何かを知っている風だった。罠に掛けられた訳じゃないと良いんだが……)
 紫の脳裏に、九尾狐と同じように、かつて都で暴れていたという鬼の話が過ぎる。
 彼の正体はともかく、戦うことがないよう願いながら、紫たちも花街を後にした。

// [2019.05.23]