Original > 紡唄[Text]
毒の鳥
 『望月堂』――そう書かれた看板をくぐると、薬品の匂いが鼻をついた。小さな店内には棚いっぱいにあらゆる薬品や薬草が並べられている。
「へえ、都にはこんな店もあるのね」
「いつも看板は目にしていたが、こりゃ驚きだな。書物でしか見ないようなモノまであるとは」
 物珍しそうに店内を見回す橙花と紫に、ここへ案内した張本人であるりんごは胸を張って見せる。
「ええ、すごいでしょう? スミのお店は、とっても珍しい薬も扱っているのです!」
「なんでりんごが得意げなのよ……」
「それに、スミは薬にとっても詳しいのです!」
 りんごは得意げな表情のまま、店の奥へと歩みを進める。
 店の奥のカウンターでは少女が薬品の整理をしていた。更に奥では書物に目を落とす店員らしき男性の姿がある。
「こんにちは! 今日はお友達を連れて遊びに来ましたわ!」
「あら、りんごちゃん、いらっしゃい。ちょっと待っていてね」
 少女――スミは一行に軽く会釈すると、奥の男性に声を掛けた。
「小夜さん、これを棚に並べるの、お願いできますか?」
「はーい、任せて頂戴な」
 書物を置いて立ち上がった男性は、傍に置かれた薬品を慣れた手つきで棚に並べていく。そんな彼の姿を横目で追いながら、ふと紫が呟いた。
「……思ったよりデカいな」
「小夜さんは背が高いので、棚の上の方に並べる時とか、とても助かってます」
「確かに、紫の背じゃあ棚の上までは届きそうにないものね」
「余計なお世話だっての」
 そう返しながらも、紫の視線は小夜と呼ばれた男性に向けられたままだった。

(あの小夜って人、人間……じゃあないよな。巧妙に化けちゃいるが、明らかに匂いがヒトのそれじゃない)
 スミと談笑するりんごと橙花から離れ、紫は1人、薬品が陳列された棚の間を歩く。
(しっかし、まあ……この薬屋も明らかに普通のルートじゃ手に入らなさそうなものだらけだな。あの人もそういう系統の妖魔か?)
 思考を巡らせながらぼんやり歩いていた紫だったが、ふと角の棚に置かれた瓶が目に入り、足を止める。
 棚の上の隅――術式の記された札が貼られた瓶の中には、濃紫色の羽根が入れられていた。
「……あれって」
 妙に厳重に保管された羽根。薬屋に置かれているからにはその手のものなのだろう。
 薬の原料に何かの羽根が用いられることは、そう珍しくはないだろう。しかし、紫の脳裏に浮かんだのは、以前書物で目にした、とある毒を持つ鳥だった。
「……けど、あの鳥は今はもう存在しないはず。そんなものがここに?」
 その羽根が無性に気になった紫は、近くに置かれた台座を借り、羽根が収められた瓶に手を伸ばす。
 だが、瓶が置かれた棚は意外と高く、紫の身長では少し手を伸ばしたくらいでは届かなかった。
「もう、少し――でっ!?」
 あと少しというところでバランスを崩し、紫の身体が大きく傾く。
 棚に衝突するのだけはまずい。そう思い、咄嗟に重心を移し後ろに倒れこもうとするが――不意に身体が支えられる。
「あら、大丈夫?」
「あっ……はい」
 紫が振り向くと、金色の瞳と合った。覗き込むように紫を支えていた小夜は、紫をひょいと持ち上げると、台座から下ろす。
「何か気になるものでもあったのかしら? 棚の上の方は売り物ではないけれど、見るくらいなら構わないわよ」
「そう…ですか」
「ほら、そういうのが置いてあった方が雰囲気が出るじゃない。最も、それが本物か偽物かは内緒だけれどね」
 小夜はそう言って口元に指を当てて見せる。
 紫は自身が妖狐であることは隠していない。それを警戒する様子がないということは、彼も人間でないことを隠すつもりはないのだろう。そう判断した紫は、直接疑問をぶつけてみることにする。
「アナタは人間ではないですよね? なぜこのような所に?」
「なぜか、と聞かれたら……趣味かしら」
 やはり小夜は特に隠す素振りもなく返す。“そういうの”に視線を巡らせた後、あの濃紫色の羽根が入れられた瓶を手に取った。
「アナタが気になっていたのはコレかしら?」
「ええ、まあ」
「ああ、でも、封が施されてるとはいえ触るのは危ないかしら。何かあったらアタシが怒られちゃうわ」
「そう言う割に自分は平然と触るんですね……」
「アタシはいいの。大概の毒の類はアタシには効かないわ」
 小夜はどこか楽しそうに羽根の入った瓶を軽く振る。
 瓶の中身が紫が思っているものなら、それがどんなに危険なものなのか、薬屋の者ならば当然よく分かっているはずである。
 それを警戒する素振りもなく扱うということは、これは別のものの羽根なのか、余程の毒耐性を持っているのか、あるいは――
「それって、鴆の羽根ですか? かつて要人の暗殺に使われたこともあるっていう」
「よく知ってるのね。そう、これは鴆の羽根……抜け落ちた後も毒性を失わず、これを水に浸すだけでたちまち多量の毒を作り出すことができる、ってね」
「前に書物で見たことがあります。でも、あの鳥はもう何百年も見つかっていないとか」
 興味津々な紫の様子に、小夜は羽根がよく見えるように瓶を差し出す。釣られて紫が手を伸ばすと、それを避けるように引っ込められた。
「触るのはダメよ。これがどんなに危険なものなのかは言った……いえ、知っているでしょう?」
「すみません、つい……。ちなみにそれ、本物ですか?」
 すぐに内緒という答えが返ってくると思われたが、小夜は少し思案するように視線を巡らす。
「本物だ、って言ったらどうするのかしら?」
「どうもしないですよ。ちょっと気になっただけですから」
「そう」
 小夜はちらりと瓶の中の羽根を見た後、そっと棚に戻す。紫の問いの答えが返ってくることはなかった。
「あら、紫、こんなところにいたのね。これからスミも交えてお茶しに行こうって話になったのだけど」
 棚の影から橙花が顔を覗かせる。どうやら、あちらの話もまとまったようだ。
「そんな訳なので、小夜さん、ちょっと店番を頼めますか?」
「ええ、もちろんよ。楽しんでらっしゃい」
 軽く頭を下げるスミに、小夜はにこやかに手を振り返す。
 紫の疑問は晴れないままだったが、これ以上は無理に踏み込む訳にもいかないだろう。紫も橙花たちに続いて店を後にした。

◇

 風にたなびく濃紫色の髪に、同じ色をした羽。姿に多少の違いはあれど、それは薬屋で見た彼に違いなく、その色は間違いなくあの羽根と同じものだった。
「やっぱりアンタ自身が鴆だったんだな」
「厳密に言うとちょっと違うわ。アタシは“鴆という鳥が化けたモノ”であって、鴆そのものではないもの」
 鋭い視線を向ける紫に対し、小夜は店で見せたのと同じ調子で返す。
「結局、アンタの本当の目的はなんなんだ?」
「言ったでしょう? お店のお手伝いをしているのは趣味。スミちゃんもアタシが鴆の妖であることは知ってるわ」
「じゃあ、アンタもスミの正体……いや、本職と言うべきかな。知ってるんじゃないのか?」
「ええ、もちろん。でも、アタシが趣味でスミちゃんのお手伝いをしていることと、アタシが今ここにいることは関係ないもの」
「御殿を襲っておいて何を……」
「それは、邪魔されちゃ困るからよ。アタシの大切な人がずっと、ずーっと待ち望んでいたチャンスだもの」
 小夜の意外な返答に、紫は少し拍子抜けしたような表情を浮かべる。
 紫が知っている鴆の逸話と言えば、その強力な毒と、それが要人の暗殺などにも使われたということ。だから、彼が御殿を襲ったのも、貴族のような存在への憎しみがあるためだと予想していた。
 『望月堂』で働いているのも、緋冥家と繋がりのあるスミこと菫を通じて探りを入れるためだと思っていたのだが――
「……その割には、あっさりしてるんだな」
「あら、御殿のみんなにはちょっと眠ってもらっているだけよ。しばらくすれば目を覚ますわ。鴆の毒は薬にもならない、ただ殺すことしかできないものだったけれど、妖になったことで違うタイプの毒も扱えるようになったのよ」
 ていうか、菫ちゃんには元気でいてもらわないと困るもの、と零す小夜は嘘を吐いているようには見えなかった。
 それでも警戒を解くに至らない紫に対し、小夜はにっこりと微笑みかける。
「紫クンは疑り深いのね。それは悪いことじゃないわ。少し疑り深いくらいでないと、気付いた時には手遅れになっているかもしれないもの」
「……? 急になんの話だ?」
「アナタの大切な人の話。人間は脆いし、アナタの大切な人はとても美味しそうだから」
「なッ、橙花はそういうんじゃないからな!? でも、橙花を狙ってるなら容赦はしないぞ」
 小夜を威嚇しつつも動揺を見せる紫に、小夜は楽しそうにクスクスと笑う。
「あらあら。でも、忠告はしたわ。それがどんな感情であれ、“大切な人なんだ”って自覚は持っておいた方がいいわよ」
「……そういえば、アンタも大切な人がどうのと言っていたけど」
「ええ、アタシを暗い谷の底から連れ出してくれた、大切な人」
 小夜の視線の先には、赤髪の天狗の青年の姿。その表情から、小夜の彼に対する想いの強さが伝わってくるようだった。
「まあ、アタシの大切な人はとっても強いから、心配はいらないのよね。それに、アタシの能力は敵も味方も、みーんな巻き込みがちだから。アタシと戦うのは避けた方が無難だと思うけれど」
「………」
 彼の言うことも一理ある。もし下手に彼を刺激して毒をばら撒かれたら、間違いなく紫たちの方が先に全滅するだろう。
 最もらしいことを言いながら、紫の意識が逸れたところで不意打ちされる可能性も考えたが、どこか楽しそうに笑みを浮かべる小夜からは敵意のようなものは感じられなかった。
(気付いた時には手遅れに、か……橙花はそういうのじゃねーけど)
 橙花とは付き合いが長い訳ではない。なぜこんなにも“護らねば”という意志が自分の中にあるのかも分からない。
 それでも、その漠然とした意志に沿わなければどこかで後悔することになるという確信だけがあった。
「今はアンタの忠告に従っておくことにするよ」
「ええ、頑張ってね」
 敵対する相手に応援されても――そんな言葉が出かかったが、これ以上の言い合いは無駄だと判断し、踵を返して橙花の元へ向かう。一瞬だけ不意打ちを警戒したが、小夜がそのような行動に転じることはなかった。

// [2019.07.20]