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独尊の主
 水面に映っているのは昔触れた懐かしい風景。
 今は眺めることしかできない。触れることは叶わない。
 それを苦しく思っていたことも、あるいはあったかもしれない。
 もう懐かしく思うことも忘れてしまった風景を今日も見下ろす。

「またここにいたのですね」
「……うたかた様」
 うたかたは隣に立つと、同じように水面を見下ろした。
 色づいた木々の並んだ小道。あそこは一年中紅葉していることで有名だ。
「ザクロは下界が恋しくはないのですか?」
「いえ、そのようなことは……」
「その割にはいつもここにいます」
 うたかたの言葉に、ザクロは自らの胸元に手を当てる。
 鼓動は何も変わらず、規則正しいリズムを刻むだけ。
「うたかた様の言う通りなのでしょうか」
「それはザクロにしか分からないことです」
「……では、うたかた様は恋しく思うこともあるのですか?」
 ザクロの問いにうたかたは少し考え込む。
「私は下界は比較的好きなのです。だから見捨てようと思ったことはありません」
「うたかた様、それは問いの答えにはならないのでは?」
「……そうですね。私から見れば世界全体が家のようなものなので」
 そう言ってうたかたは微笑む。
 ザクロも釣られて小さく笑みを浮かべた。
「流石、神様はスケールが違います」
「ギャップというやつですね」
 穏やかな空気が間に流れている。うたかたと共にいる時はいつもこうだ。
 この平穏が続けばいい……そう思ってしまうのは我が儘なのだろうか。
「私はこれから、久々に下界へ行こうと思っています」
「また次代のところですか?」
「ええ、どうしても気になってしまうのです。ザクロも共に来ませんか?」
 もう長らくここから出ていないのでしょう、と問いかけるうたかたに、ザクロは首を横に振る。
「きらら様の意志なくそのようなことをしたら、また怒られてしまいます」
「それは、私からきららに言ってもいいのですよ?」
「ぼくはきらら様の所有物ゆえ、そのような勝手はできません」
「……ザクロがそこまで言うのなら、無理にとは言いませんけれど」
 頑なに意見を曲げないザクロに、うたかたは小さく溜息をつく。
 そこでザクロの手に目が留まる。
「ザクロ、右の手をお出しなさい」
 差し出されたザクロの手を見、うたかたは顔をしかめた。
「また、きららにはよく言っておかねばなりませんね」
「この程度の傷、もう半刻もすれば直りますから!」
「それが問題なのではありません。きららの八つ当たりも困ったものですね」
 慌てて手を引っ込めるザクロに、うたかたは再度小さく溜息をつく。
 これで何度目になるのだろうか。何度言ってもザクロもきららも意志を曲げない。
 ある意味、二人は似たもの同士でもあるのかもしれない。
「貴方はもう、我々の家族のようなものなのですからね」
「そのお言葉だけで十分です。さ、そろそろきらら様のお目覚めの刻ですよ」
 水面に映されていた風景が波紋と共に消える。
 彼女の少し気難しい主の足音がしている。
「……ええ、きららは下界の話を聞くのがあまり好きではなようですから、私はもう行くことにします」
「はい、お気をつけて」
 その足音から逃げるようにうたかたは逆の方へと姿を消す。
 程なくして足音の主は不機嫌そうな表情を浮かべて現れた。
「お目覚めですか、きらら様」
「うたかたの声がしたような気がしたが……出かけたのか」
 ザクロの言葉には耳を貸さず、きららは水面の淵に歩みよる。
 水面に浸かった足元から波紋が広がった。
「ああ、退屈だな」
 そこで初めて、きららの目がザクロに向けられる。
 この人は何を考えているのだろうか。きっとまた禄でもない暇つぶしを考えているに違いない。
「今日は創のの部下が来ている日だったかな? 今日こそ奴の玉座を真っ赤に染め上げるのも楽しそうだな」
「しかし、きらら様は療養中の身、あまり無茶はなさらない方が……」
 始めから彼がこのような提案に耳を貸すとは思ってはいない。
 彼は退屈なのだ。長い間、失った力を取り戻すために、ここに閉じこめられて。
「貴様はいつもここにいるな。余程下界が恋しいか」
「そう仰るきらら様もここに来ます」
「我に口答えとは随分と生意気になったものだな」
 水面を蹴りながらきららが言う。
「……ああ、それにしても退屈だ。力さえ戻れば地上に混乱をもたらしてやるのに」
 水面に立つ波紋が更に大きくなった。

// [2011.10.25]